第五章 05

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061[志津]

 生徒会召集をかけてから既に十五分が経過していた。いるべき筈の副会長の姿が現れない事に、皆不審に思っているようだ。あちこちで立ち上る小さな囁きが次第に広がり、まるで俺を急かすように聞こえてきた。我慢出来ずに立ち上がる。一瞬静まり返る室内を見渡し、ゆっくりと息を吐く。俺の一言を待つ為に、皆の視線がこちらに向けられる。
「副会長を、迎えに行ってくる」
 そう言うと、またざわざわと囁き合う声がした。だが、俺を制する声は上がらない。
 どのみち、このままでは会議は進行しない。吉崎を引っ張ってくる役は誰でもよかった。しかし、その指示を出すよりも、己が動いた方が手っ取り早いと思った。俺は傍にいる書記の一年に「戻るまで、話を進めてくれ」と言い、会議室を後にした。
 廊下に出ると、背後で閉めたばかりのドアが開き、軽快な足音がこちらに近づいてきた。
「二ノ宮」
 隣に立つ足音の主に声を掛ける。
「なんかさ、志津君、今にも殴り込みに行くような顔しているんだもの。ならば、止める人間が必要でしょ」
 勿論、俺は吉崎に殴り掛かる気持ちは抱いていない。ただ、苛立ちは隠せなかったのだろう。苦笑して、二ノ宮と共に一年の校舎へと向かう。
 途中、中庭へと進路を変えたのは、二ノ宮のクラスメイトに吉崎がそこにいると聞いたからだ。
 怪訝な表情で聞いていた二ノ宮でいたが、何かを思い出したように口を開いた。
「そういえば、放送が入った時、吉崎君の姿見えなかったな」
「それにしたって、冬休み中の定期連絡には気づいているだろう」
「そうよね。だからあたしも、気にせずにいたんだけど」
 二人して首を傾げていても仕方がない。とにかく中庭にいるであろう吉崎の元へ急いだ。
 吉崎と向かい合う亜麻音の姿を見た時、俺はかなり動揺した。横にいる二ノ宮の存在も忘れる程でいた。
 亜麻音が叫ぶように言った言葉で、我に返った。あいつは先日の事をそれ程までに気に病んでいたのか。俺は思わず否定の声を放っていた。亜麻音は俺と二ノ宮の存在に気付くと、今にも走り出しそうな様子で後ずさりを始める。
 また、同じ事が繰り返される。そう思った俺は我を忘れ亜麻音に近寄り抱き締めてやりたいと手を伸ばす。
 だが、俺の腕は遮られ宙に浮いたままでいた。二ノ宮に先を越された俺は、やや茫然とその様子を見つめる。
「ごめんね、亜麻音、追い詰めちゃって、ごめん」
 二ノ宮の背中越しに見える亜麻音の顔が、少しずつ変化していく。表情が和らぎ、両腕が二ノ宮の背を抱いていた。俺と目が合うと、照れたような笑顔になった。その笑みを見て、俺も安堵の表情で応える。
 ここは二ノ宮に譲るしかないだろう。
 俺は呆けた状態の吉崎に近づき、その腕を取ると引き摺るようにしてこの場を立ち去った。

 俺に腕を取られたまま力無く歩く吉崎でいたが、ついと足を止めた。無理強いする事なく吉崎を解放し奴と向き合う。放課後の廊下は薄暗く、辺りに人の気配は感じられない。それは幸いだと思う。俺は二ノ宮の言葉を思い出し、自分が努めて冷静でいられるよう己の内に言い聞かせる。
「それで、何で会議を忘れて中庭にいたんだ、吉崎」
「今日、会議ありましたか」
 すっ呆けた返事を聞いて、怒りよりも呆れて苦笑する。
「冬休みに入れた定期連絡も確認していないのか」
「僕、田舎にいたんです。携帯電話は使えましたが、電源を入れていませんでした」
 俺は大きく息を吐いた。吉崎の事情にとやかく追求つもりは無い。だが、言うべき事は言わねばならない。
「お前はいい奴だ。仕事も早い。だが、副会長としての自覚が足りないように思える」
 吉崎の顔色が変わった。
「もし、生徒会役員の責務が重荷になっているのなら、そう言ってくれればいい。代わりの人間を立てる手段もある」
「それは……困ります」
 吉崎とて軽い気持ちで立候補したのではないだろう。唇を食み拳に力を入れる様子は、そう物語っている。
「なら、これからはちゃんとしてくれ」
「申し訳ありませんでした」
 深々と頭を下げる吉崎の肩を、励ますように軽く叩いた。すると、突然吉崎は体を起こし俺を見据えてきた。その目は何かを探るようでいる。
「先輩は」
「何だ」
 後の言葉は言い難いのだろうか。吉崎は口籠っていた。
「いいよ。訊きたい事があるのなら、遠慮するな」
 俺は生徒会の件だろうと思っていた。
「宝生さんの事、どう思っていらっしゃるのですか」
 だから、一呼吸の間の後に出た吉崎の言葉が、意外過ぎて絶句した。
「お前、あそこで亜麻音と何を話していた」
 どうして俺は、亜麻音の事となると冷静さを欠いてしまうのだろう。詰め寄る俺に、吉崎は怯んだ様子でいる。俺は頭を振り力を抜くよう息を吐いた。
「悪かった。だが、俺と亜麻音の事は、誰にもとやかく言われたくないんだ、お前じゃなくても」
「そんなつもりはありません。ただ、宝生さん、やけに寂しそうだったから。きっと先輩と何かあったんだと思ったんです。先輩、喧嘩はダメです」
 俺と二ノ宮が中庭へ向かう間、おそらく、亜麻音にも同じような言葉を放ったのだろう。
「お前に言われるまでもない」
 そう返すも、きっと俺は知らぬ間に亜麻音を悲しませていたのだと思った。ここ数日の、亜麻音の表情がそれを物語っている。
 あの日、激しい感情をぶつけてきた亜麻音の姿は、これまで見た事がないものだった。俺はそれに戸惑い、どう応えていいかわからずにいた。日を追うごとに亜麻音の様子は落ち着いていったが、俺に対するわだかまりは消えずにいたのだろう。
『違うの! わたしが悪いの! わたしがみんなに迷惑を掛けて、でも謝れなくて、一人でバカみたいに憤って……だから、志津も梓ちゃんも、わたしを嫌になっているの、きっと、もう』
 結果、あんな風に叫ばせてしまった。それは吉崎の誘導で放たれたものではなく、俺の所為だ。
「宝生さんは大事な家族なんでしょう。絶対、傷つけてはいけないです」
 真摯な言葉だ。だが、吉崎の目は俺ではないものを見ているようでいる。ふと、吉崎の心の内を見たような気がした。
 吉崎のお節介めいた発言は、自身の葛藤の表れなのかもしれない。
「お前にも、傷つけてはならない大事な人がいるんだな」
 そう言うと、吉崎は目を見開き、今にも泣き出しそうな表情を見せた。図星のようだが、追及はしない。
「ありがとう、吉崎」
 再び驚いたという風に俺を凝視する吉崎でいたが、次第に笑顔が戻っていた。
「ちょっと、志津君に吉崎君、まだこんな所にいたの」
 二ノ宮の声に、俺と吉崎は顔を見合わせる。そして腕時計に目を落とした俺は、苦笑せざるを得なかった。
「二ノ宮、今日の会議は明日に延期だ。吉崎、明日は忘れずに来いよ」
 俺は会議室で待つ役員達に頭を下げる為に、足早で向かった。

 その日の夕飯の後、亜麻音を庭へと誘った。本当は桜公園に行こうと思ったが、母の強い一声で諦めた。
 庭に出てテラスの縁に座ると、亜麻音も俺の横に腰を下ろした。
 並んで百日紅の木を眺める形となっていた。葉の無い白い幹は、寒々と見える。だが、やがて若葉が芽生え夏には鮮やかな赤い花を咲かせるだろう。
 百日紅から亜麻音に視線を移す。何かを思うように木を見つめる亜麻音でいたが、俺の視線に気づくとはにかむような笑みを見せた。もう、あの激しい感情は見取れない。今日学校の中庭で叫んだ事で落ち着いたのだろうか。それならば、吉崎には感謝をせねばならない。
「志津」
 名を呼ばれ、聊か緊張する。それでも笑みを返せたと思う。亜麻音は穏やかな顔を見せていた。
 言い辛い事なのだろうか。俺の名を呼んだきり、亜麻音は黙ったままでいる。急くような事は言いたくない。俺は再び百日紅の木に目を移し亜麻音の言葉を待った。
「わたし、こわかった」
 囁くように聞こえた言葉だが、俺の胸を深く抉っていた。何か言えば、亜麻音はまた激高するのだろうか。その全てを受け止める覚悟はあると思った。だが、どう言えばいいのだろう。
「志津がわたしから離れてしまうようで、こわかった」
 何も言わず、亜麻音の肩を抱き寄せる。亜麻音は逆らう事なく俺の腕の中へ身を沈める。亜麻音の言葉を否定するように、強く抱き締めた。
「俺はいつでもお前の傍にいる。だから何も不安に思う事は無いんだ」
 そうは言うものの、肝心な時にいてやれなかった己を悔やむ。
 ふと、亜麻音の身体が動く。ゆっくりと頭を上げた亜麻音の視線は、俺を捉えていた。
「違うの」
 亜麻音は悲しげに微笑んでいた。
「志津はちゃんとわたしの傍にいる。わかっているよ。あの時は気が動転していたの」
 視線が外れた。
「わたしは、永遠を信じる事が出来ないでいるの」
 ふう、と息を洩らした後、亜麻音は静かに言った。百日紅を見つめる大きな二つの瞳が揺らいでいる。その眼から、こぼれ落ちた滴を掬うように受け止める。
 一体何が亜麻音を苦しめているのか。それを問うたところで、亜麻音は答えないだろう。
 それきり口を閉ざした亜麻音をしっかりと抱き締める。俺は、そうする事しか出来ずにいた。

 季節が移り替わる。
 卒業式まであとひと月となった。先月から式典とそれに関わる行事の準備で、目が回る程の忙しさとなっている。
 今日は卒業式の最初のリハーサルだ。幾人かの三年生を交えての進行で久しぶりに見る顔に綻ぶも、《奴》の姿に気づくと複雑な思いに捉われる。元生徒会長の角田は、卒業生代表として答辞を読む事になっている。再び短く刈り上げた髪をガシガシと掻き八方美人ばりの笑顔で愛想を振りまく様は、少しも変わっていない。俺を見る表情にも変化は無いと思った。
 リハーサルは滞り無く終了した。簡単な打ち合わせの後解散する。だが、在校生代表として送辞を読む俺と角田だけ、式進行役の教師の指示でその場に残った。用事はまだ草稿である文章の再チェックだった。それも五分程度で終わった。
 この場から立ち去るつもりで腰を上げる。ちらり、と角田に目をやる。奴は送辞の原稿を読んでいる風で視線を机上に落としている。
「お先に失礼します」
 礼儀のつもりで声を掛けた。
「なあ、亜麻音ちゃんは元気か」
 何を言われても、直ぐに出て行くつもりだった。だが、俺の足は止まっていた。角田は頬杖をつき、俺を見ている。
「元気だよ」
 余計な言葉は言わず、訊かれた事だけ答える。その後、沈黙が続く。角田の顔に変化は無い。俺を見据える目は笑っているようにも怒っているようにも見える。どれだけ無言の時間が過ぎただろうか。知らずに力んでいた拳を緩めると、俺は大きく息を吐いた。
「何か言いたい事があるなら、言えよ、角田」
 角田は肩を竦め破顔する。
「そうだな。先ず祝いの言葉が聞きたい」
 力が抜けた。俺は壁に寄り掛かり、もう一度息を吐く。
 結局、俺はいつまで経っても角田に勝つ事は出来ないのだろう。口惜しさより、可笑しいと思った。
「あんたには沢山の祝辞が降り注いでいるだろ。そういえば大学も決まったと聞いた。よかったな」
「お前は、変わらんな」
「あんたも変わってない」
 こういうやり取りが出来るのも、あと僅かだろう。そう思うと一抹の寂しさを覚える。角田の事は今でも好きになれない奴でいる。亜麻音の事があっても無くても、その気持ちに変化は無いと言える。
 でも、生徒会長を引き継いで、事ある毎に角田の偉大さを思い知らされた。その点だけは奴を認めてやってもいいと思える。
 こう思う俺だから、角田に弄ばれるのだろう。
「あんたはどこに行っても、卒なくやりこなすんだろうな」
 角田は少し眉根を寄せて、首を傾げた。俺は喋り過ぎたと思い、弾みをつけて壁から離れる。
「何かあったのか、亜麻音ちゃんと」
「あんたに心配されるような事は、何も起きていない」
 俺は角田に背を向けたまま言い、その場を後にするつもりでいた。
「宝生」
 ドアに手を掛けた所で呼び止められる。
「これは俺からの最後の忠告だと思って聞け」
 何を言われるのか。次第に力の入る腕を見つめ、気を落ち着かせるよう努める。そして、近づいてくる角田の足音を聞いた。
「お前は一人で背負い込むのが好きなようだが、お前の周囲にはお前を支えてくれる人が沢山いるだろう。甘える事は弱さじゃない。もう少し楽になれ」
 押し黙る俺の横を、角田が通り過ぎる。ドアを開き出て行く角田を、俺は追い越す事が出来ない壁のように見ていた。
 誰かに話を聞いて欲しいとは思っていても、俺は角田の言うよう、己を曝け出す事に躊躇している。俺は意固地になっているのだと思う。
 強くなりたい。
 そう思う事も、俺が弱い証拠なのだろう。
 それにしても、角田の言葉はいつになく胸に沁みた。以前、母にも同じような事を言われた事を思い出す。
 自分の情けなさを笑った。だが、力みは消えたように思える。

 帰路の途中、桜公園に寄り道をした。
 まだ寒々と見える桜の木が、沢山の枝を広げている。近づいて目を凝らすと、小さな新芽が見える。それは日を追う毎に膨らみ、角田達が卒業する頃には、満開の花を咲かせる。
 そう、季節は巡る。
 それは永遠の命のようにも思える。
 亜麻音の言葉を思い出す。
 永遠を信じられないと言う亜麻音に、俺はどう応えてやればいいのだろう。
 亜麻音にとっての永遠とは何なのだろう。俺はその答えを見つけられるのだろうか。
 きっと、ある。
 俺はその為に歩んでいくのだ――亜麻音や父と母と共に。