短編 - 先輩のメガネ

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 季節は夏から秋へ変わる境目。いつの間にか、日が暮れるのが早くなっていた。
「遅くなっちゃったな。津田、今日はもう止めよう。送って行くから、帰り支度をしろよ」
 真崎先輩はそう言って、銀縁のメガネを外す。幾度か目を瞬かさせ、それから大きく伸びをして、先輩は机の上にぱたりと伏せる。
「お疲れ様でした、生徒会長」
 あたしは、そのコミカルな姿に笑いを堪えて言い、机の上の書類の束とノートを片付け始めた。
 二学期が始まって、直ぐに文化祭の準備に追われる日々が続いた。会長の真崎先輩を中心に結成された『文化祭プロジェクトチーム』は、連日大忙しだ。
 あたしは書記という立場だけど、一年生の身。皆の邪魔にならないように、黙々と雑用係に徹している。
 今日は真崎先輩に頼まれて、進行プログラムのまとめのお手伝いをしていた。と言っても、仕事は先輩のもので、あたしはコピーを取ったり清書したり、言われるまま動いていただけなんだけど。
「悪いな、付き合わせちゃって」
 帰る準備が整ったとほぼ同時に、伏せていた真崎先輩は顔を上げた。癖の無い髪をかき上げ、机の上に置いていたメガネを掛け、先輩も辺りを片付け始める。
 二人きりって聞いて最初は緊張したけど、別に何が起きる訳ではなく――起きる理由は無いのだ。あたしが密かに真崎先輩を想い続けている事は、勿論先輩は知らないのだから。

 空は茜色から紫色に、綺麗なグラデーションを描いている。
 あたしの家は、バスに乗って十分、そこから歩いて五分程の距離だ。先輩は、確か同じバスの終点までの筈。送って行く、の言葉に胸をときめかせながらも、あたしは鼻歌混じりでバスを待つ先輩に声を掛ける。
「バス停まででいいですよ」
「阿呆。夕暮れ時に女の子を一人きりにさせられるか。俺のポリシーに反する」
 超真面目な顔で言う先輩に、益々胸を高鳴らせる。それが社交辞令だと分かっていても、嬉しくて仕方が無い。
 ならば遠慮無く甘えてしまえ、そう思って先輩の横に並んだ。
 自分の気持ちを伝えるのには、まだまだ勇気が必要だった。真崎先輩は、陽気で頭も良くて、女の子からの人気が高い。顔も申し分なくイケているのだけど、最近掛け始めたメガネは賛否両論だった。
 バスの中で、時折メガネを外し顔を顰めて目を細める先輩は、何だか辛そうに見える。
「それって、度、合っています?」
 思わず尋ねていた。
 先輩は、やけに驚いた様子であたしを見て、それから苦笑する。
「急いで作ってもらったからなあ。調整甘かったかも」
 目が悪いのは知らなかった。夏休み前は掛けていなかったし。
 暫く目元を指で押さえ、再びメガネを掛けた先輩は、窓に目をやり外の景色を見ている様子だった。その横顔をチラチラ盗み見して――胸が切なく痛んだ。

 あたしの降りる停留所に着くと、真崎先輩は先にバスを降りて行った。慌てて後に続き、走り去るバスに振り返り申し訳無さで胸が一杯になる。視線を前に戻し、先を歩く先輩に声を掛けた。
「やっぱりここで……家、直ぐそこですから。ありがとうございました」
 これ以上甘えると、後が辛くなるだけ。
「そっか」
 足を止めた先輩は、少し間を置いてから返事をした。
「あ、あの、次のバスが来るまで、一緒に待っていていいですか」
 なんでそんな事を言ってしまったのか分からない。真崎先輩の声が、立ち止まる後ろ姿が寂しそうに思え、つい口走っていた。
 先輩の背中は動かないままだ。呆れてしまったのかも知れない。そう思ったら恥ずかしさでいたたまれなくなり、顔を下に向けていった。
「よし、ではお言葉に甘えよう。津田、ベンチに座らん?」
 顔を上げると、真崎先輩は振り向いて笑みを零していた。片腕を伸ばし、その先はバス停に備えられているベンチを指差している。
 二人並んで座り、頭の中は戸惑いと萎縮と嬉しさで混乱し、あたしは何も喋る事が出来ずにいた。先輩も黙ったまま。気まずい時間だけが過ぎていく。
 これをチャンスだと思っていいのだろうか。
 苦しさから解放される為の。

「あの」
「何?」
 先輩は返事をしてメガネを外した。また少し目を細め、眉を顰めて、それから直ぐに掛け直しこちらを向いた。
「……何で、メガネを掛け始めたんですか」
 自分でも素っ頓狂な質問をしたと思う。
 先輩の目が見開き、あたしを凝視している。
「覚えて、いないの?」
「はぁ」
 真崎先輩は再びメガネを外し、膝の上に置いたそれを見つめる。そして徐に天を仰ぎ、大きく息を吐いていた。
「夏休み前さ、生徒会議室で話していたろ。副会長の木村と」
 紫色から紺色に変わっていく空を見つめたまま、先輩は言った。
 何の事だか分からず、あたしは必死で記憶を手繰ってみる。
「木村に訊かれたろ。好みのタイプは、って。その時言っていたろ、メガネを掛けた人がいいな、って」
 ぽつりぽつりと言う先輩の言葉に、ああ、そう言えばそんな話をしたようなしなかったような気がしてきた。
 そうだ。あの時は木村先輩がしつこかったから、適当に答えた事を思い出す。
 そして、真崎先輩が言った事がどういう意味なのか、気付いた瞬間頭の中が真っ白になった。
 ――それって、それって。
「いや、姑息な手を使う俺が阿呆なんだな。やはり、こういう事ははっきり言うべきだ」
 先輩は誰に言い聞かせているんだろう。
 ふっと顔を下ろし、あたしに向いた真崎先輩は外したメガネを胸のポケットに仕舞った。そんな動作をスローモーションを見るように目で追っていた。
 真崎先輩の顔が近付いてくるのも、ただじっと見ているだけ。
「俺は、お前が好きだ、サヤカ」
 そう言われてキスされたと思い出したのは、翌朝自分の部屋のベッドの中でだった。

 それが夢ではないと分かったのは。
 朝日を受けてバス停に立つ真崎先輩が、笑顔であたしを迎えたからだ。
「おはよ、サヤカ」
 そう言って先輩はあたしに手を差し出す。手の中には昨日まで掛けていた銀縁メガネがあって、それは今ではあたしの宝物となっている。

end

タイトル
先輩のメガネ
日付
2004/09/26執筆、2007/02/11加筆修正
連載状況
完結

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